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記紀の系譜・中


▼初代 神武天皇

初代 神武天皇
神武天皇と八咫烏(やたがらす)です。神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)という名前が好きです。

▼第10代 崇神天皇

第10代 崇神天皇
「四道将軍」を派遣したのはこの御方。背景は三輪山です。

▼大彦命

大彦命
大彦命(おおひこのみこと)は北陸道に派遣された「四道将軍」の一人です。背景は石川県の白山です。

▼彦五十狭芹彦命

彦五十狭芹彦命
彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)は西海道に派遣された「四道将軍」の一人です。吉備津彦命(きびつひこのみこと)とも言います。吉備津神社(岡山県)の伝承で温羅(うら)と言う鬼を退治したことから桃太郎のモデルともされます。

▼武渟川別

武渟川別
武渟川別(たけぬなかわわけ)は東海道に派遣された「四道将軍」の一人です。背景は平安時代初めの噴火によって山体崩壊する前の富士山型の会津磐梯山を想像して描きました。

▼丹波道主命

丹波道主命
丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)は丹波道に派遣された「四道将軍」の一人です。背景は丹波から連想した雲海です。

▼田道間守

田道間守
第11代 垂仁天皇は、常世国(とこよのくに)にあるという「時じくの香の木の実」を取ってくるよう田道間守(たじまもり)に命じました。常世国で苦労して木の実(橘)を手に入れ帰国すると天皇は既に崩御しており田道間守は慟哭しそのまま息絶えました。背景は橘の花と田道間守のお墓がある垂仁天皇陵付近から望む生駒山です。

▼日本武尊

日本武尊
三種の神器の一つ「草薙剣」を持つ日本武尊(やまとたけるのみこと)です。

▼神功皇后

神功皇后
背景は新羅征討の軍船を背負って海を渡った大小様々な魚たちのイメージです。

▼第15代 応神天皇

第15代 応神天皇
『日本書紀』誉田別尊(ほむたわけのみこと)
『古事記』品陀和気命(ほむたわけのみこと)・大鞆和気命(おおともわけのみこと)

歌や伝承から応神天皇は古事記一の酒豪であることが伺えます。応神天皇の御陵は大阪府羽曳野市の古市にあり現在もこの地には「誉田」という地名が生きています。読みは「ほむた」ではなく「こんだ」と変わっていますが…。

▼木梨軽皇子

木梨軽皇子
皇位継承争いに敗れた雄略天皇の兄・木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)です。

▼葛城円大臣

葛城円大臣
『日本書紀』葛城円大臣(かつらぎのつぶらのおほみ)
『古事記』都夫良意富美(つぶらのおほみ)

背景は眉輪王の変を暗示して雲行きの怪しい葛城山と炎に包まれる運命にある葛城円大臣の館のイメージです。

▼眉輪王

眉輪王
『日本書紀』眉輪王(まよわのきみ)
『古事記』目弱王(まよわのきみ)

背景は眉輪王の運命を狂わせた「押木の玉鬘(おしきのたまかづら)」のイメージです。
眉輪王は4歳の時、父の大草香皇子を冤罪により安康天皇に殺されました。大草香皇子の妻で眉輪王の母である中蒂姫は安康天皇の皇后にされたため眉輪王も天皇の元で育てられました。3年後、7歳になった眉輪王が高殿の下で遊んでいると、上から中蒂姫と安康天皇の話し声が聞こえてきます。天皇は「眉輪王が大きくなって父の死の真相を知ったら自分に恨みを抱いて仇を討つのではないか心配だ」と言いました。それを聞いた眉輪王は初めて父が天皇によって殺されたことを知り、隙を見て昼寝をしている天皇を斬り殺しました。
安康天皇の弟・大泊瀬幼武皇子(おおはつせわかたけるのみこ/後の雄略天皇)は眉輪王を討とうとしましたが眉輪王が逃げ込んだのは大泊瀬皇子の妻・韓媛(からひめ)の実家である葛城氏の館でした。葛城氏側は韓媛を大泊瀬皇子に引き渡し最後まで眉輪王を庇って大泊瀬皇子軍と一戦を交えます。そしてついに力尽き眉輪王共々滅びてしまうのでした。あわれ眉輪王7歳にして散る…
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